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Posted by 京つう運営事務局 at

2012年04月05日

天職とは何か?

いろんな仕事を経験し、「自分にとってこれが天職だ!」と思える仕事を見つけた、

という人に稀に出会うが、大部分の人はそこまで自分の仕事にしっくりきているわけでもない。

そうなると、「自分にとって天職って何なんだろう?」と、思い悩んでしまう。

これを「青い鳥症候群」と呼んだりする。

ある経営者が、

「自分の仕事を天職だと思った時点でそれが天職」

とおっしゃるのを聞いたことがある。

まさにその通りだと思う。

傍目から見て成功していると思える創業者の話を聞くと、

案外その事業を始めたきっかけは、些細なことや、たまたまの巡り会わせでしかなく、

「最初からこれが天職」と思って始めた人は案外少ない。

何らかの縁やチャンスがあって始めた仕事に真剣に取り組むことで、お客様や信用が身につき、

それによって益々その仕事に自信や愛着が生まれてくる、というパターンが多い。



今は就職活動の真っ最中で、会社や仕事選びに真剣に取り組んでいる学生が多い。

水を差すような言い方になるかもしれないが、ある意味選択する職業は何でも良くて、

大事なのは、一度決めた仕事をとことんやりぬく強い意思を持てるかどうか、だと思う。

私も、かつて就活をしてた頃は自分なりの志望動機を持っており、それなりに筋は通っていたが、

それにしたって、所詮は世間を知らない学生が狭く偏った視野の中で思い込んでいるだけの話であって、

客観的に見ればそれが正解だと言えるものでは決して無い。

ただ一ついえるのは、自分なりに「俺はこれをやりたいんだ」と強く思い込めれば、

それがその人の武器・成長エンジンになる。

たまたま、好きな人が「かっこいい」と言ってた仕事でもいいし、親がやっていて何となく興味がある、とか、そんなレベルで全く構わないと思う。

ヤマト運輸の故・小倉昌男氏は、

「天職とは、目の前の仕事に惚れること」

と言っている。

とにかく、目の前の仕事に一生懸命になれる人は、何をやっても成功するし、

そうでない人は、何をやっても「天職」を得られることは無い。
  


Posted by とん at 18:10Comments(0)自らの成長を促す

2011年06月29日

広田弘毅の生き方再考

今までに、自分の生き方に最も影響を与えた本が、

城山三郎「落日燃ゆ

学生時代に一度読み、最近になってふともう一度読み返してみた。


主人公の広田弘毅は、
一般的な紹介のされ方で言うと、

文官としての唯一、東京裁判で絞首刑とされた人物。

そこだけを取ると、重い戦争責任を負った政治家としての烙印を押されてしまうが、
実際には、首相または外相として、
暴走する関東軍の尻拭いをしながら、
必死に協調外交を行い、
諸外国からの信頼を得ることに全精力を傾けた政治家である。


そこに至るプロセスの中で、

・自ら計らわぬ生き方

・自らの役割を全うする生き方

・自らの役割を果たすときが来るまで、準備・学習を怠らない姿勢

・自らの仕事の結果に対して、決して言い訳をしない

など、社会人として生きていくうえで指針となるエッセンスを学んだ。



最初に読んだのは、社会人になる手前だったが、
この本に出会って、
「自分なりに漠然と描いていた理想の生き方」
をそこに見出すことができた。

今読んでも、その思いは変わらない。

地道に、自分が社会に役立てることを考え、
実行に移す努力をするのみである。

  


Posted by とん at 22:33Comments(0)自らの成長を促す

2010年05月29日

ワークライフバランスが会社を滅ぼす

「ワークライフバランス」とは一体何なんでしょうか?

その名の通り、
仕事とプライベートの時間配分のバランスが取れていればよいのか?

はたまた、
仕事をサボる(手を抜く)ための口実か?

「コンプライアンス」と同様に、
経営者サイドにとっても、従業員サイドにとっても、
何かと大義名分化しやすいキーワードです。

もちろん、女性の出産や育児をサポートするための施策の充実については、
論を待たずに大賛成です。


私がここで問題指摘したいのは、

大義名分化されたキーワードを解釈する側(その解釈の仕方)

についてです。


あるシステム開発会社の社長に、こんな話をききました。

「結婚したとたんに、以前よりも仕事に熱意が発揮されない社員(男性)が目に付く」と。

仕事に加えて、家庭も大切にするということはもちろん大切ですが、
「家庭を大切にしていれば仕事はそこそこで良い」というように捉えている人が、
私が関与する会社やビジネスマンの中にも多いと感じます。

ライフ(=家庭)というのは一側面でしかありませんが、
ここで勘違いしやすいのが、

「ライフを充実させるために、仕事に対して保守的になっても仕方が無い」

という発想です。

単に、もっと積極的に転職や起業しろ、と言っているのではなく、
ライフの充実に重きを置きすぎると、
「つるべ効果」のようなもので仕事の重みが減り、
仕事で革新的、冒険的、野心的な動きをとりずらくなる、
というのが、多くの人に見られる現象です。

(それは、その人個人が悪いというものではなく、普通の人間とはそういうものだということに過ぎません)

この経済環境の中、保守的な発想で仕事を廻し続けることは極めて困難です。
ましてや、これから組織内でも社会的にもリーダーシップを発揮すべき30代のビジネスマンには、
保守的な姿勢自体が許されません。


本来は、「ワーク」と「ライフ」という両者はバランスをとるようなものではなく、
本人を軸として両方がつながっているもの、
本人が成熟することで、当然のように両立させるべきものなのです。

この点は、論語の
「修身斉家治国平天下」
という言葉に、

「家を治めることができなければ、そもそも外での仕事も本質的にはできていない」

と表現されています。

関連記事
儒教が説く「修身斉家治国平天下」

(ちなみに私も家庭を持っていますので、その難しさはもちろん実感しています)


以上、お分かりの通り、
ワークライフバランスの施策自体を批判しているわけではありません。

企業や仕事の革新が無いままに、「ワークライフバランス」という言葉を心地よく流通させることは、

会社にとっても、ビジネスマン自身にとっても、いずれそのしっぺ返しを喰らう

ということを警告しているのです。

どうぞ誤解なきよう。

  


Posted by とん at 12:23Comments(0)自らの成長を促す

2010年04月13日

「成果」と「成長」の違い


「成果」と「成長」の違いというものを最近感じます。

大事なのは、

「成長にしっかりと軸足を置くことで、成果に振り回されない」

ということでしょうね。


成果は目に見えやすいもので、

他者からも簡単に評価ができる。

しかし、成長とは本人の内面に蓄積されるものであり、

他者からは簡単には判定できない。



その結果、

「成果だけを見た周りの評価に振り回される」

という事態を招きます。



勝手に名づけた「自己評価優先理論」というのがありまして、

これと大いに関連があります。

つまり、「他者評価(特に良い評価)は当てにしない・真に受けない。それよりも、自己客観視に基づく自己評価を大事する」

というもの。


「自己客観視に基づく自己評価」

ができるためには、明確な目標設定(つまり、何がどこまでできれば自分なりに成長したとみなせるのか?という物差し)が必要です。


形だけの成果で満足してしまうと、そこで成長は止まります。

逆に、成果が出ていないからとあせってしまう必要もありません。


周りの評価に流されることなく、

「自分自身で自己の成長ポイントを語れるようになっているかどうか?」

が、その人の成長を図る目安になります。



  
タグ :人材育成


Posted by とん at 00:46Comments(0)自らの成長を促す

2009年10月14日

白洲次郎のプリンシプル

先月、NHKで放送された「白洲次郎」のドラマを見て以来、

ちょっとはまっています。





白洲次郎を知らない人のために、簡単に紹介すると、

戦後直後の占領下の日本で活躍した人で、

吉田茂のブレーンとして活動し、
GHQに対する日本側の交渉窓口を務めたり、
通産省(現経済産業省)の生みの親であったり・・・等々

当時の政治経済の新しい枠組み作りに関わった人物です。


その白洲次郎の口癖が、「プリンシプル」

日本語に訳すと、「原理原則」という意味です。

その言葉通り、彼の生き様には
「いかなるときも、自己の良心・信念を曲げない」
というスタイルが表されていると感じます。


わかり易い例で言うと、
晩年に、「軽井沢ゴルフクラブ」という名門コースの理事長を務めていたとき、
時の総理大臣から、
「明日外国の要人とプレーしたい」
と申し出があっても、
原則となる予約ルールを貫いた、という話があります。

つまり、同じ会費を払ってもらっている会員はあくまで平等に扱い、
権力者に対する例外も一切認めない
そのスタンスを貫くことで、会費こそ高いが、会員からの絶対的な信頼が保たれたという話です。


会社経営にも、そのプリンシプルを貫けるかどうか?
という局面が数多くあり、

例えば、給与制度を例に挙げると、
いろんな過去からの経緯が積み重なって決まっている給与に対し、
原則論を持ってあるべき姿に是正していく、
というようなコンサルティングに数多く関わってきています。

その際、失敗するケースとして、

『原則論を落とし込めずになし崩しで終わる』

ということがあったりします。

激減緩和措置としての移行措置は重要ですが、
他方に配慮しすぎてメッセージが浸透しなかったり、
経営者がリーダーシップを持って説明責任を果たせないことがあります


これまで自分の仕事、人の仕事を振り返ってみると、
経営にしろ、プロジェクトの運営にしろ、全ての仕事において、
原則を踏まえない(例外と原則を履き違えた)ような仕事は、
頓挫したり成果が出ないという結果になりがちです。


一つ一つの仕事のプリンシプルを明確に持ち続けることが重要だと
改めて感じます。




  


Posted by とん at 22:04Comments(0)自らの成長を促す

2009年08月26日

流してしまう怖さ

忙しいとついつい、いろんなことを流してしまう

慣れてくるとついつい、適当にこなしてしまう


今日もある社長さんと話す機会がありましたが、
ほぼこの1年、毎月赤字を出し続けているという話。

この不景気の中でその手の話が多すぎるのもありますが、
なんとなく感覚が麻痺して、「よくある話」と聞き流してしまいそうな自分がいます。

しかし、経営者ご本人にとっては身を切り裂き続けているような話です。


例えば「挨拶」ということを例にとっても、
来社されるお客様に対して、どれだけ挨拶ができているか?

どうしても、自分のお客様でなければ、適当に見て見ぬふりで済ませてしまいがち。
この辺から、お客様が会社を見る目が、変わってしまうのでは。


最近あった顧客クレームで、
料金の「自動引き落としシステム」を顧客了解のうえとっていたものの、
年1回の契約更新時に、
「何の挨拶も無かった!!」というクレーム。

もちろん、契約上は何の問題もないものの、
これも「入金に慣れてしまうことで、流してしまってた問題」といえます。

商売の基本に立ち返って考えれば、
金銭の授受である「入金」(回収)というのが、どれほど重い意味を持った行為であるかを、思い出せるはずです。

忙しいときこそ、
目の前の事象ひとつひとつに敏感なアンテナを張り、
相手のちょっとした気持ちの変化などを嗅ぎ取り、
対応していかないと、
忙しさが一段落したときに、周りに誰もいなかった、何て事にもなりかねません。

「忙」=「心を亡くす」になってしまわないようにしたいものです。

  


Posted by とん at 08:38Comments(0)自らの成長を促す

2009年06月19日

刃を研ぐ

森の中できこりが木を切り倒そうとしている。

ひどく疲れているようで、聞くと
「もう5時間も切り続けている」
という。

「その前に、そののこぎりの刃を研いでみたらどうですか?」
と言うと、

「刃を研いでいる暇なんてない。切るだけで精一杯だ」
と答えた。



「7つの習慣」の7つ目の習慣が「刃を研ぐ」です。

忙しさにかまけて、刃を研ぐことが後回しになると、
余計に能率・能力が下がっていくという話。

「目の前のことに精一杯取組むことこそが成長の近道」
とも言うけれど、
やっぱりそれだけでは途中で息切れしてしまう。

我々にとっての刃を研ぐというのは、

インプット(学習・情報収集)

とともに、

アウトプット(話す・書く・仕事で使う)

しつづけること。


不況の折、目先の仕事を追いかけることも大事ですが、

今だからこそできる刃を研ぐ習慣を取り戻したいものだと、

あらためて痛感しています。



  
タグ :7つの習慣


Posted by とん at 23:38Comments(0)自らの成長を促す

2009年01月14日

何のために働くのか

「何のために働くのか」

という、まさにズバリのタイトルの本を、

SBIホールディングスの北尾社長が書かれてます。

若手社員や新入社員向きに、平易な文章で書かれていますが、
経営者やベテラン社員に至るまで、
働く者全てにとっての普遍的なテーマだといえます。





私なりに感じた筆者のメッセージをまとめます。


1.変えられない物事に対する気の持ち方

「天の存在」について何度も触れられているが、
それは決して宗教じみたことではない。
人間生きていくうえで、
自分ひとりの力だけでは動かせないもの(人との縁や社会情勢)に大きく影響を受けており、
それらに一喜一憂していても、物事は好転していかない。

「運命は変えられない」という謙虚な気持ちを持つ一方で、
「自力で変えられる物事に対する働きかけを尽くしているか」
という問いも持たなければならない。

言い換えると、「人事を尽くして天命を待つ」
という状態を常に作り出しているか?を
自らに問いかけなければならないのである。

(※この点では、「7つの習慣」との共通点も多い)


2.続けることの意義

例えば私は10年間同じ仕事を続けているが、
それでもやはり「本当にこれでいいのか?」「まだまだやり切れていないことが多いのではないか?」
と思うことは多い。

それは、もっと経験のある人や、社会的に認められている人でも皆同じ心境ではないだろうか?
逆に、満足してしまったらその時点で成長が止まってしまう。

その不安に打ち勝つために、自分ができることは一つしかない。
それは、「自分が納得できるまで努力し続けること」

しかし、その道のりにはゴール地点がなかなか見えず、
少し走っては不安になり立ち止まってしまう。
その時、再び走り出すための勇気をもらう、
または別の道に進むのであればそう判断できる状況とは何かを教えてくれるのがこの本である。

たかが数年で、思うような成功は得られない。
本当に道を究めるためには、20年30年と、
我々のような凡人は歩み続けなければならないと感じる。



3.「人の道」とは何か?

そのひとつの答えを、論語に代表される中国古典に見出している
他にも考え方はあろうが、古くから日本人の思想に影響を与えている原典に立ち返ることは自然であり、
違和感のない答えを見つけられる。
もちろんそれだけにとらわれず、自分なりの哲学を持つことは大事である。

コンサルタントに限らず、お客様と長きにわたって関係を築くには、
スキルよりも「人格」とか「姿勢」が見られているのは確かである。

その姿勢とは、

・「信」~約束を守る、
・「義」~正しい行いをする、
・「仁」~相手に思いやりを持って接する に集約される


また、ビジネスマンとして当然求められる「利」や「成果」とは、
上記のような3つの基本姿勢なしで得られるのでなく、
(仮にそれだけで得られたとしても長続きしない)
3つの姿勢によって得られる「徳」によって築いたものでなければ
本物ではない。



以上、一部私見も混じってますが、
概ね以上ようなメッセージを受け取りました。


やはりこのような考え方を体得するには、
筆者のような教育環境の元で育つのが一番だと思いますが、
それを特別な人だけのものととらえず、
日本人全体が、このような「人間教育」として伝えられる哲学を
持つ必要があるでしょう。

・親
とか、
・教育者

はもちろんのこと、

・経営者

・他人に対して指導的な立場にある人

は全て、こういった基本姿勢が必要です。

(基本とはいえ、常に実践するのは大変難しいことではありますが)


そして、これら哲学の重要性に目覚めるのは、
大人になってからでも(もちろん年をとってからでも)
間に合うのであり、
気づいたときから「持続し続ける」ことで、
道は開けるのではないでしょうか。






  


Posted by とん at 12:51Comments(0)自らの成長を促す

2008年11月10日

心情倫理と責任倫理

2ヶ月ほど前の日経夕刊のコラムに、

マックス・ウェーバー(ドイツの政治学者)の

「職業としての政治」

からの引用があった。




タイトルの「心情倫理」とは、

自分の純粋な心情から発した行動の結果が悪くても、
その責任は自分にあるのではなく、他人や世間にある と考えること。


最近の例として、

①福田前総理「私とあなたたちとは違う」・・・独善性を表現した

②星野監督 「我々は一生懸命にやった。あとは国際ルールが、審判が・・・」



一方の「責任倫理」とは、

自分がどのような心情で行動をとったかではなく、
それによって生じた結果の責任を受け止め、他人に責任転嫁しない人


マックス・ウェーバーは、著書の中で、

心情倫理の持ち主は政治家とは認めず、
責任倫理によって行動できる人だけが、政治を天職にできる

と言っている。


立場によるが、政治家でなくても「指導者」といわれる人は、
総じて責任倫理の立場に立つべきではないか。



ある会社の会議で、
自分は一生懸命やっているが、
「外部環境」と「動かない部下」を業績悪化の原因
と論じている営業部長がいたが、
それは典型的な「心情倫理」のスタンスでしょう。



これだけ景気が悪くなってくると、
「一生懸命やってるんですが・・・」
というのが枕詞みたいな会話が増えてくると思うのですが、
その「心情」に流されると、本質が見えにくくなる。

結果が出ないときは、どうしても自分以外のせいにしたくなるものだが、
将来に対して責任をとるというスタンスを貫くことが、
指導者としてリーダーシップを発揮できる人かどうかの
ひとつの試金石かもしれません。
  


Posted by とん at 18:34Comments(4)自らの成長を促す

2008年06月09日

真田軍記

大好きな作家 井上靖の

「真田軍記」





短編集ですが、

なんでこうも真田家周りの話・小説は面白いんでしょうねえ


池波正太郎の「獅子」

もおすすめです。




ここに出てくる武士たちの共通項は、

自分の死に場所・死に時を見極めていること

それと同時に、

自分が何に(誰に)尽くすか?

という答えを明確に持っていること。


そこにあるのは、何が客観的に正しいか?間違っているか?ではなく、

自分なりの答えです。

例えば、徳川方についた真田信之と、豊臣方についた真田昌幸・幸村

これはどちらが正しいか?という話ではなく、

親子の縁を断ち切ってまで持った、確固たる信念です。



翻って、何かと選択肢の多い現代。

いろんな打算も絡んで、あれこれ迷うことも多いのが現実です。。。

死に場所とまではいかずとも、

自分なりのタイムリミットを持って、

その場その場で力を尽くすことができるか?集中しきれるか?

に挑みたいものです。

  


Posted by とん at 20:55Comments(0)自らの成長を促す