一人称で語るリーダーシップ
昨日お会いしたクライアントの社長は、
「私は社長としての能力がなくて・・・」
というような話をされていました。
確かに、現場の専門能力や、社歴としてのキャリアは浅いかもしれませんが、
経営者としての能力とは全く別問題。
最低限、言動の一貫性を図られ、
粗いかもしれないが自分なりのビジョンを提示されている姿を見れば、
世の中の多くの社長よりもよほど優れていると感じます。
ただ、あえて言うならば、
リーダーシップをとる拠り所となるビジョンが、
「作らねばならない」
という意識から出てきている点が惜しいといえます。
いわば、経営者としての義務感に動かされての行動が多いということです。
(まじめな方だからなおさらですが・・・)
本来の根源的なリーダーシップとは何か?
それは、周囲から見た第3者的な評価だけにゆだねられるのでなく、
自らの根源的な思い(つまり1人称で語られるもの)をもてるかどうか
に由来します。(
リーダーシップの旅)
第3者の評価を基準にリーダーシップを発揮できているかどうか?
を考えることが組織の中ではよくありますが、
それは本来的なものではないということだと気づかされました。
関連記事