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2010年06月02日

鳩山総理は「心情倫理」の典型

以前、「心情倫理と責任倫理」という記事を書きましたが、

鳩山総理の言動を見るにつけ、

このテーマを再認識いたしました。


復習ですが・・・、

「心情倫理」とは、

自分の純粋な心情から発した行動の結果が悪くても、
その責任は自分にあるのではなく、他人や世間にある と考えること。


鳩山さんがよく口にする

「身を粉にして働く」
とか
「国民のために尽くす」

というのは、全て「自分主語」の心情を表現したものであり、

「心情倫理」をベースとした発言の典型です。


退陣表明の中で出てきた

「国民が聞く耳を持たなくなってきてしまった。」

というのも、責任転嫁の表れです。




一方の「責任倫理」とは、

自分がどのような心情で行動をとったかではなく、
それによって生じた結果の責任を受け止め、他人に責任転嫁しない考え方


この考え方に立てば、

こちらもよく口にする

「なかなか国民からの理解と評価がいただけない・・・」

と言っている段階で、既にもうアウトなのです。



以上、この原則に従えば、総理の進退に関する答えは簡単に出るのですが、

関連してちょっと悩ましいのが、鳩山内閣閣僚のとるべきスタンスです。


「閣僚の立場としては総理を支える」

というのが多いようですが、

半面は理解できるのですが、半面で疑問が残ります。


例えば、会社に置き換えて考えてみたときに、

社長が、社内からもお客様からも「No」の烙印を突きつけられた時に、

経営幹部としてはどう行動すべきか?

を考えてみると、


①現時点での結果、将来を影響を客観的に捉え、社長に辞めるように促す

②どんなことがあっても、最後まで社長を支える

のどちらかです。


しかし現実的には、①の選択肢はとりづらいでしょう。

その理由として考えられるのが、

・最終的な結果(倒産も含めて)に責任を取れるのは社長しかいない という意識

・現社長の就任プロセス(役員会での承認 など)を尊重しなければならないという意識

・自分も経営幹部として経営責任の片棒をかついでおり、社長1人の責任にできないという意識

・社長に諫言することで自分が罷免されるなどのリスクを避けたい意識

といったことです。


ここでまず我々が確認すべき前提は、

「何を(誰を)意思決定の拠り所にするか?」

です。


先に挙げた4つの理由は全て

「身内の論理」

であり、組織内のルール、あるいは組織内での自分の立場 を前提にした判断基準です。


やはり、政治家はもちろん、

企業の経営者・リーダー層の人達は、

自らの保身(心情倫理)ではなく、

外(顧客・社会)の評価軸と、将来に亘って何がベストかを判断の拠り所にすべき

だと感じます。




それにしても、マックスウェーバー「職業としての政治」は、

政治家にとってのバイブルだとか基本書のように言われていますが、

政治家の人は本当に読んでいるんでしょうか?







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